2012年01月03日

1月2日




こんにちは

しばらくネットやめてます。
ちょっとした気分転換に、、

んでバイトしてます。

先日まではクリスマスケーキを夜中に作るバイトしてました。
3000個作ったので3000の幸せを作ったことになります。
これはやまもじに通ずるものでもあります。

そうそう、2012大地の芸術祭の件ですが、トンネルのプランは難しいとのことでプランの出し直しを申し受けました。
別プランが採用されるのを待っておる所です。

そして30〜5日まで毎日クリエイティヴな仕事をしています。
友人の店の内装をやっております。
五反田ですのでお近くの方は遊びにいらしてください。

ついに来たな2012
今年もよろしくお願いします。

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posted by 滝沢達史 at 02:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年11月29日

11月29日


神奈川に帰宅しました
最近のことです。

岡山芸術回廊を見る
津山にてフラムさんと会う
兵庫県立美術館にて榎忠展を見る
兵庫で駐禁切られる
多摩美にて授業をする
steps gallery見参
3331で藤原新也展を見る
pocorartが3日から始まります

宿題山盛り
現在思考中

とりいそぎ

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岡山芸術回廊
榎忠展
steps gallery
藤原新也展
pocorart



posted by 滝沢達史 at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年11月08日

11月8日


数えきれない程の光の変化をこの場で観て
この場に何を表現しようかと
この場に体を同調させるため
この場で静かな呼吸をした
障子の向こうからは川の音が聴こえる
ゆっくり ゆっくり 光の色が変わって行く
まるで自分の色が変わって行くようだ


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この美しい空間に
川の化身としての素材を選び、設置した
岡野屋の灰皿を重ね
その上には宝石箱


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川で育った蜻蛉の黒い羽根で台座を作り
川の水を一滴垂らす
これは一日で消えてしまう宝石



夕には姿を消し
翌朝に一滴を垂らす
水滴は、とどまることが無い
形を変え、去ってゆく
そして川もまたとどまることなく流れ行く

宝石は永遠の輝き
永遠とはこういうことなんじゃないかと
少し思ったわけです。




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posted by 滝沢達史 at 23:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

11月8日

B・フラー「クリティカル・パス」

私がこの本を書いた理由は次の4つである。

(A)この本で語らなければならないことをほかの人々が知ることが、人類の存続に必要不可欠であると確信するから。

(B)もしも、われわれ一人ひとりが、現在そしてこれからずっと真実のみを、そして全ての真実をあえて語るのでなければ、そして直ちにそれを実行しようとしなければ、人類は絶滅の危機にさらされると強く確信しているから。

(C)人類が宇宙の中で存続して行くための適応性は、これまで多数を代表していると考えられてきた政治的、宗教的、経済的、あるいは社会的な組織が有効であるかどうかには、もはや依存していないと確信するから。

(D)人類の存続は、(C)の諸組織とは反対に、いまや次のことにすべて依存していると確信するから。

(1)あらゆる個人の直感的な知恵
(2)個人の包括的な知識
(3)個人の内面的直感と理性的なイニシアティブにのみ基づく、個人の言動の誠実さ
(4)あくまでそうしようという本人の意思にのみ動機づけられた他者との恊働
(5)群衆に発生させる真理操作や圧倒的な群衆の力という観念、そして自らの知的確信で選んだ道を維持することへの恐れからひたすら誘導された場合は、絶対に他人と恊働しない
posted by 滝沢達史 at 13:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

11月8日

詩人の忠告

詩人とは、物を感じる人であり、言葉を通して感情を表現する人である。
これは、簡単に聞こえるかもしれないが、実はそうではない。
多くの人が、感じるということを考えあるいは信じ、あるいは知る。しかし、それは考えたり、信じたり、知ることであって、感じることではない。
そして、詩は感じることである。つまり知ったり、信じたり、あるいは考えたりすることではない。

誰でもたいていの人は、考えること、信じること、知ることを学べるが、誰一人として感じることを教わることはできない。なぜか?それは、あなたは考えたり、信じたり、知るときはいつもほかの多くの人たちと同じだが、感じる瞬間というのは、あなた以外の何者でもないからである。

あなたを他人と同じ人間にしてしまうために、昼夜を問わずありとあらゆることがなされている世界にあって、自分以外の何者でもない存在でいることを言葉によって表現すること、それは詩人ではない人に想像できるより、少しだけ努力しなければならないことでもある。なぜか?誰かほかの人がやっているように言葉を使うほど簡単なことはないからだ。
われわれは皆、ほとんどいつも互いに似てしまう。そして、われわれがそうするときはいつでも、詩人ではないのだ。

あなたが格闘し努力し、そして感じる最初の10年か15年を経てついに、もし一遍の詩の一行が書けていたなら、あなたは実にきわめて幸運ということになる。

そこで詩人になりたいと思っている全ての若者たちへの私の忠告は、もしあなたが死ぬまでに感じて働き、そして戦う意思ばかりでなく、そこに喜びがないのなら、世界を爆破する方法を学ぶといったような、何か簡単なことをなすべきである。

これは陰鬱に聞こえるだろうか?否、そうではない。
それはこの世でもっともすばらしい人生だ。

つまり、私はそう感じている。

e・e・カミングス

posted by 滝沢達史 at 13:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

11月8日


墓守になんてまだなりたくないから
イラッと来たのです

尊敬する過去の芸術を観て感動したであろうに
何かを見失ってきた
考えること、信じること、知ること
それらは保持して来たものの
その時得たであろう、感じるということを忘れてきている
感じるという感情
それは誰でもない私ということ

それが無くなった時
それは生きた行為ではなく
ひとつの墓となる

私が作りました、という作家性に疑問を持ち
売買される作品に疑問を持ち
オリジナリティを不必要として取り組んで来た数年の制作
最近では強烈に私という個性を求めている
それが何故か、何故必要なのか、
その辺りも少し整理できて来た。

苛立ちの答えを、少し長い引用ですが、
現在の記録に記します。
posted by 滝沢達史 at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年11月05日

11月5日


好きな花を植え
木々を植え
庭を手入れして
素敵なメモリアルパークはできたかい?
やわらかい光射す
癒しの風景

もうてめえの墓の準備か、、
いつも明日も明後日も
呆れちまうよ
posted by 滝沢達史 at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

11月5日


K氏のブログより

ブックマーク

重要な情報のほとんどは
ブックマークに入れた瞬間から
常識のコレクションになってしまう。

常識とは
情報の相互関係を失った、
情報の墓場だ。
posted by 滝沢達史 at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

タルコフスキー


アンドレイ・タルコフスキー
一時期は思想の全てだった

敬虔なクリスチャンであり
自身の日記を殉教録としてまとめる程のロマンティストでありながら
憎むべき相手に対しどんな仕打ちをしても心が痛むことは無いと言い放った

激しく
貧しく
7本の映画を撮った

そのカメラフレームに納まるものは5p単位で場所を決定する完璧主義の独裁者
その映像は絵画の連続であり
その長回しは劇のようで絵巻物のようでもある

1997 タルコフスキーの日記をたよりにイタリアへ渡った
当時はインターネットも無く
日記と地図と現地の情報でその痕跡を求めた

タルコフスキーが亡命したイタリアへ
そして「ノスタルジア」の舞台となったバーニョヴィニョーニへ

タルコフスキーの泊まったホテルはほどんどが5つ星で、見るだけに留まった
バーニョヴィニョーニは車が無いとダメだと聞いた
ローマ郊外の家も近くの町を歩き回るに留まった
北から南
ただその日記をなぞった

3ヶ月の旅の終わりに寄ったアマルフィ
古い寺院
人も居ない、廃寺なのだろう
しかし半ば朽ちた寺院に射す光はタルコフスキーの光に似ていた
古い回廊を抜けると、小さな中庭があり
吹き抜けから射す光に照らされていた
その中央には枯れたあじさい
美しい光、、
その瞬間にタルコフスキーの日記の一節が記憶から蘇る

「アマルフィ、あじさいのある中庭」

タルコフスキーがアマルフィの逗留で書き残したたった一文
場所も書いていないその一文は
間違いなくこのあじさいを示していた

同じあじさいを見ている

喜びに全身が震えた
そしてつながれたと感じた

その花を1つだけもらい
イタリアの記録に挟むことにした


タルコフスキーのことを長らく忘れていた
というより
その先を探していた

本当に?

もう一度観たいと思った
きっと何も観ていなかったと思うだろう


ひょんなきっかけで気付けて良かった、感謝しています。
もう一度観ることにします。


Stalker-Final Scene
posted by 滝沢達史 at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

11月4日



その旅館は4年前に廃業したらしい
旅館の主人は夜逃げ同然でこの場から居なくなったと聞いた
うっすらと埃を纏う物たちの前に佇み
その淡い光を見ていた

その主人が残した油絵が数枚
暗い部屋に射す光に照らされている
主人が使用していた油絵具の木箱を開けると
絵具のチューブがまだ柔らかさを保っていた
その主人はどんな気持ちで絵を描いていたのだろうか
やはり絵を描いている時は絵の中に体を預けていたのだろう
誰でもがそうであるように

その主人が収集した土産物の裏には
その日付と旅行の思い出が記されている
昭和44年の文字も見える

その絵具で絵を描き
その土産物ひとつひとつを手に取り、並べた

そして部屋から見える中州に
その痕跡を停めたいと思い
石を積んだ

この行為は
この場に来たことの痕跡
それもまたひとつの埃



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posted by 滝沢達史 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記