出雲地方はずっと気になっていて行きたかった場所。
出雲風土記にあるような古代の霊力を探しに行ってみた。
1日目は出雲大社と木次牧場・木次酒造。
出雲大社は本殿の工事ということもあったけど、残念ながら古代の霊力は感じられなかったな。
ただ、出雲平野に吹く風はとても心地よくて、特徴的。低い山と平野は独特の感じがあります。
木次のブラウンスイスという牛はとてもカワイイし牛乳は本当に美味しいです。
宿泊は茅葺き屋根の素敵な古民家、贅沢だなあ。
2日目は竜頭ヶ滝・菅谷たたら・八重山神社
竜頭ヶ滝はスゴいです。
間違いなく一級のパワースポットです。
恐山とか沖縄の斎場御嶽 に行ったときに感じた畏怖を感じさせます。でも、恐山や斎場御嶽が長く宗教や観光に利用されてきたことで、その本来の美しさが弱まっているのに比べ、ここはまだ多くの秘密に守られている気がしました。もっとこの場所に居て色々考えてみたかった。
でも時間がなかったから、またゆっくり行ってみたい。
その後も色々観光したけど端折ります、、。
今回の旅は雲南市がこれから始めようとしている廃校を利用した文化事業のための視察を兼ねていて、早稲田大学の建築チームやアーティスト、デザイナーの人たちと地域の交流が主な目的。
自分の参加目的は出雲の風土への興味がほとんどだったんだけど、雲南市の方達の人柄が素晴らしく、途中からは出雲風土記なんかどうでも良くなった。
地元の人たちと呑んだり、子どもたちとサッカーをしたり、、それがとっても大切なことで、今あることが素晴らしいと感じた。
今回参加したことは、なんか自分の価値観を少し変えた気がします。
作品を作る上では現在の現象だけでなく、その土地を長い歴史の中で感じて作りたいと思っていたけど、もしこの土地で作品を作るとしたら、歴史のことはあまり考えないかもしれない。
帰りの飛行機の窓から富士山が頭を出していました。
高天原から見る風景は神様のもの。ちょっと高過ぎるから、畳の上で酒を飲んでいる方が落ち着く。

寒くて雪が降っていた。
出雲そばがうまかった。
2軒はしごした。
出雲大社で感じたのは、靖国神社とか明治神宮とかとは全く違う宗教観(?)
神様ってもっと素朴で、もっと自然で、もっと身近な畏怖を呼び覚ますものだったのではないかということ。
伊勢神宮もかなり素朴な感じがしたけど、それとも違ったなぁ。
なんだろ?
日本人が最初に出会った神がそこにいたのではないかと思わせるような…。
自然にわきあがってくる感覚。
多分、八百万の神とか戦前戦中の神道観とは異なるものだと思う。
作為なしの作というのだろうか?
政略的な意図を感じない神との対話ができる場所としての出雲がそこにある気がしたよ。
ちょっと違う感じ、良くわかります。
なんかイヤな感じとイイ感じってありますよね、説明できないから霊とか気とか言うんだけど、人間の五感はすごいですからね。何かが見た目で違うのでしょう。
“作為なしの作”がうまくできれば、そこに神が宿る。はず。
神と言えば、出雲大社と出雲教の間を流れる川を見て、きれいだなと思いました。誰見ない場所だけど、、
それでちょっと新しい言葉を思ったんです。
“神は隙間に宿る”
これ新しい言葉だと思うけど、誰か言ったかな?
「子どもは休み時間に育つ」に似てる?
大人も休み時間に育つ!